・ソ 日本の火葬の起源と日本古来の自然葬

日本の火葬の起源と日本古来の自然葬

繝舌リ繝シ

日本の火葬の起源と日本古来の自然葬

日本では、三蔵法師に師事し行基の師であった天台宗の道昭の火葬が日本最初の火葬とされていますが、長崎県大村市の竹松遺跡から弥生時代末期2世紀の火葬散骨跡が発見され、遣唐使道昭により唐の薄葬礼の情報が日本にもたらされ火葬が始まったのでは無く、古代より貴人の葬送や儀式として火葬が行われていたと考えられています。

実際に、火葬が行われた形跡の残る横穴式木芯粘土室と呼ばれる古墳が、西は兵庫県から東は埼玉県まで30数基発見され、約3分の1が堺市と和泉市に集中している事から、6世紀には大和朝廷もしくは周辺で火葬が行われたいたとされています。


しかし、その一方で千年の都と呼ばれる京都では、「野」がつく古い地名の地区は風葬や鳥葬のなどの自然葬の墓地だったとされ、化野と蓮台野、鳥野辺が京都三大葬送地とされています。又、現在では、夏には納涼床や恋人達の憩いの場となっている鴨川も、飢饉や戦の際には山の様に死体が打ち捨てられていた場所です。

livedoorニュースに関する特集が満載です。

鳥部野は、字が表す様に自然葬の一つである鳥葬が行われていたとされる一大葬送地であり、京都屈指の観光地となっている清水寺の清水の舞台周辺が鳥野辺と呼ばれていた様です。



清水寺は、778年に延鎮上人が音羽の滝の側で打ち捨てられた死体を供養したのが始まりとされ、蝦夷の軍事指導者阿弖流為を討伐した以外実情が見えない坂上田村麻呂が長岡京の旧宸殿を移築したなど朝廷の庇護を受け現在に至っています。


嵐山の北にある化野は、東の鳥野辺と並ぶ北の風葬地とされ、811年に空海が五智山如来寺を建立し念仏寺を創建した事から化野念仏寺と呼ばれ、北大路欣也の子連れ狼のロケ地としても知られています。

神奈川の自然葬の情報はかなり役に立ちます。

昭和23年まで日本各地で、その地域の風習に合わせた様々の自然葬が行われていた記録が残されています。

Copyright (C) 2016 日本の火葬の起源と日本古来の自然葬 All Rights Reserved.